第40話「嫌な思い出」

長編小説

 チャイムが鳴った直後、あちこちからシャーペンの転がる音がした。麻里は運動して疲れたのとは違う疲労を感じていた。緊張から解き放たれたような感覚だ。

 手を膝にのせたまま大きく空気を吸い込み、鼻だけからゆっくりと長めに吐き出した。その息は手の甲にも少し触れていた。

「はい、ペンはもう置いてくださいね」と先生は軽く見渡した。

 解答用紙を回収した後、試験監督の先生は「これで、すべて終わり?」と最前列にいる女子生徒に訊いた。

「あっ、はい」と彼女は頷いた。

 すると先生は「これですべて終わりのようですね」と労うように微笑み、「試験、お疲れさまです。今日ぐらいはゆっくりと休んでくださいね。じゃあ、最後に号令」と続けた。

 先生が教室を出ていく前には、浩太はすでに自分の席へとやってきていた。

「どう? できた?」と彼が子どものように訊いてくる。

「うーん、微妙かも」と麻里は少し首を傾けた。「ちょっと問題多くなかった?」

「やっぱ、そうだよな。最後のほうとか時間が足りなくて全然終わらなかった」

「うん、私も少し足りなかった」

 彼は「だよな」と言ってからすぐに離れていき、席に着いたままの拓のもとへと向かった。彼とは中間テストの結果で、コンビニ商品を賭けているそうだ。

 終礼は掃除がないことだけが伝えられ、五分も経たないうちに終わっていた。

 カバンを持ち上げて歩こうとしたとき、玲奈が「麻里、今日ご飯食べる?」と訊いてくる。

「うん、食べるよ。昼から練習だし」

「一緒に食べてもいい?」

「うん、全然いいよ。どこで食べる?」

 そう訊いたとき、秋穂もやってきたので三人で相談して、結局三組の教室で食べることになった。

 三人は風が気持ちよかったのもあり、窓際の席に腰かけて弁当を広げた。

 小さなあくびをすると、玲奈が「また寝不足?」と弁当を開けながら訊いてくる。麻里は「ううん、全然」と首を振り、「ただ少し眠いだけ」と小さく笑った。

「それならよかった」と玲奈も微笑んだ。「今日って練習は何時からなの? サッカー部」

「今日は一時半からだよ。えっ、合ってるよね?」

「うん」と秋穂は小さく頷いた。「一時半からだよ」

「じゃあ、まだ結構時間あるね」

 ひじきを口に含みながら頷くと、玲奈は「あれ? サッカー部って、引退はまだ先だよね?」と訊いてくる。

「引退はまだだよ」と麻里は答えた。「あと一か月半ぐらいだけど」

「じゃあ、チア部とかとあんまり変わんないね」

「ああ、そうだね。チア部も七月とか、八月だもんね?」

「うん、大体それぐらい」

 「最近、ちょっとずつピリついてきたよね? 練習」と訊くと、秋穂は「ああ、うん。何か緊張感があるような」と答えた。

 その後もサッカー部のことを話題に喋り続け、去年は一回戦で敗れてしまったことも話した。

 玲奈が「じゃあ、今年はもう負けられない感じ?」と訊いてきたので、麻里は「…うん。今年も一回戦で負けたらさすがにやばいと思う」と答えた。

 それから十五分ほど経った頃に弁当を片づけてから、玲奈は「じゃあ、また」と教室を出ていった。

 彼女と別れた後も、二人は教室に残り続けていた。お互いに去年の一回戦を思い返しながら喋っていた。

「去年は試合の後とかもやばかったんでしょ?」と秋穂が唐突に訊いてくる。

「試合の後?」

「俊平から聞いたけど、みんな泣いてたって」

「ああ、うん。先輩たちはみんな泣いてたかも」

 その後に説明するように話していくうちに、どんどんと当時の記憶がよみがえってきていた。嫌な思い出だった。

 先輩たちは試合に出られなかった人も泣いていたし、香苗先輩も自分を責めるかのように泣いていた。

 応援に駆けつけてくれた人たちももらい泣きをしていて、自分も泣きそうになるのを必死で堪えたような覚えがあった。たしか涼も少し泣いていた。

 試合が終わってから三十分ほどした後、大柳監督が高三全員とメンバーに入っていた後輩だけを部室に集めて、何かしらの言葉を送ったようだけど、自分は部室の中にいなかったので具体的に話した内容までは知らない。

 でも部室から出てきた先輩たちが目を真っ赤に腫らして、ほとんど嗚咽するかのように泣いているのは見ていた。

 当時キャプテンだった隼太先輩が声を出して泣いている姿は鮮明に覚えている。部室のベンチに座りながら泣いていた。隼太先輩の泣く姿は、それまでに見たことがなかった。

 また、あのときになって初めて気づかされたような感覚もあった。自分は足りていなかった。

 それなりに真面目に取り組んできたつもりだったけど、先輩たちと同じ意識とか気持ちで臨めていたかと訊かれると自信がなかった。先輩たちは優しくていい人ばかりだったからこそ後悔しているところでもあった。それも話していくうちに思い出してきた。

「あれはもう嫌だよ、ほんと」と麻里は嘆くように言った。「もうね、ただ見てるだけでもつらくなってくるから」

「…うん」

「一回戦で負けちゃったからね」

「うん…」

「三回戦で負けるのとかとは、またちょっと意味が違うからね」

「うん」と秋穂は噛みしめるように頷いた。

 本当は映像とかで見せてあげたいような気分だったけど、もちろん試合後にカメラを回している人はいなかった。

 ただ、いくら言葉を並べて説明しても、ちゃんと伝えられている気がしなかった。

 麻里は「ああ、そうだ」とカバンから財布を取り出し、お札を入れているところにある白いカードに触れた。

 でもやっぱり見せるのはやめようかと思い、そのまま戻して財布もカバンの奥へとしまった。

「うん? どうしたの?」と秋穂が訊いてくる。

「ううん」と麻里は首を振った。「やっぱ、何でもない」(第41話に続く)

第41話「体育祭当日」

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