第33話「久しぶりの感覚」

長編小説

 あの二人の話題はいまだに少し続いていた。正直なところ、自分は飽き飽きとしていた。というか、それがごくごく普通の感覚だと思っていた。

 ただ、いまだに涼のことを羨ましがるやつもいれば、中には少し下品な想像を喋っているやつもいた。妄想に近かった。

「はあー、あと二日だあ」と浩太は後ろに腕を伸ばした。

「やっとだよ」と拓は素っ気なく言った。「やっと終わるよ、三学期が」

 今日は午前中の大掃除だけで、その後は食堂で拓と喋り続けていた。ちなみに彼は、あの二人の話題にかすりとも触れてこない。もしかしたら知らないのかもしれない、とさえ少し感じた。

 途中までは運動部らしきやつらも騒いだりしていたけど、十三時を過ぎた頃になると、周りから話し声が聞こえなくなるほどに食堂は閑散としていた。

 二人ともすでに食べ終わっていて、目の前には空の弁当が置かれている。拓の弁当の右側には米粒が一粒も、左側には千切りされたキャベツが一切れも残されていなかった。まるで空の手本のようだ。

「何時からやる? この後」と浩太は訊いた。

「そうだね…」と拓は身体を回して時計を見た。「えっ? もう一時過ぎてんじゃん!」

「そうだよ。俺ら、ここに一時間近くもいたってことだよ」

「そうだね…」と拓は呟くように言った。「やっぱり、今日はもう帰ろうかな」

「いやいやいや…」と浩太は早口に言った。「やろう、やろう。どうせ家に帰っても何もしないだろ?」

「そんな決めつけるなよ」

「でも、実際そうだろ?」

「…まあね」と彼は笑った。

 この後、二人は三組の教室を借りて一緒に勉強する予定だ。家ではなかなかはかどらないからもあったけど、十六時に校門前で麻里と待ち合わせしているほうが大きかった。その後は少し遊ぶことになっていた。晩ご飯は一緒に食べるつもりだ。

 結局拓は、ぶつぶつと文句を言いながらも付き合ってくれた。

 二人は食堂を出てから、本条先生に許可を取りに行くために職員室へと向かった。放課後に教室を使うときは、一応事前に担任教師に伝えなくてはいけないのだ。先生は「おっ、勉強? 全然いいわよ」とすぐに許可してくれた。

 何時頃まで使うかを伝えた後、二人は誰もいないであろう教室へと向かった。中に入ると、やっぱり誰もいなかった。

 窓の外を見てみると、校庭では野球部とサッカー部が声を出しながら練習していた。サッカー部の練習は十五時半まであるそうだ。

 自分の席に座ると、拓は「やばい。飯食ったら眠くなってきたよ…」と言い出した。

「いま寝たらやばいだろ、絶対」

「でも食べた後は眠くなるんだよ、いつも」と拓は腕を枕にしはじめた。

「マジで寝るの?」

 彼は「ちょっとね。ちょっとだけだよ」と答え、しばらくすると本当に寝息を立てはじめた。それを聞いたとき、浩太は思わず「マジで寝たよ…」と呟いていた。

 自分も少し眠りたかったものの、いま寝ると十六時を過ぎるような気もしたので、そのまま英語の課題を取り組むことにした。春休み中の課題だ。

 他の教科とは違い、英語の課題は受験を意識した実戦形式となっていた。教科書を読んだら分かる問題ではなかった。長文の英語を読んで設問に答える形式で、どこかの大学の入試問題から引っ張ってきたのだろうと想像していた。

 最初は十六時になるまでに一つの長文を読み、すべての問題も終わらせようと考えていたけど、あまりにも意味不明すぎて読み終えられるかどうかも分からなくなっていた。

 結局英文の十五行目までいったときに問題を解くのは諦め、十六時までにすべての英文を理解することだけに集中しようと決めた。

 ただ、電子辞書で調べても理解できない文章があったりして、結局分からないまま飛ばした箇所も少なくなかった。

 すべての単語の意味は分かっているのに読めない文章もあり、今すぐに和訳文を見てみたかったけど、答え合わせとかは春休み後の授業で行うと言われていた。

 ふと集中が途切れたとき、逆に集中していた自分に少し驚いていた。久しぶりの感覚だった。勉強していると、いつの間にか時間が過ぎているのだ。

 浩太は中学時代のことを思い出さずにはいられなかった。あの頃は本当に冴えていなかった。心の中では「暗黒期」と名づけている。

 地元の中学は近い地域にある二つの小学校からくるやつが大半で、小学校のクラスメイトと馴染めていなかった自分にとっては、何一つとして嬉しくないことだった。

 また小学校のような日々を送るのかと思っていたし、結局小学校時代よりも嫌な思い出しかなかった。別にいじめとか酷い嫌がらせを受けたわけではなかったけど、教室にいるのかどうかも分からないほどの存在感だった。

 一緒に休憩時間を過ごせる友だちはいなかったし、女子と関わったこともほとんどなかった。というかあの頃は、女子と口を利かないことにかっこよさを感じていたような覚えもあった。とにかくひねくれていたのだ。

 一人で休憩時間を過ごすのも当たり前だったし、だから勉強しはじめたといっても過言ではなかった。ただ単に暇だったのもあるけど、周りから退屈そうに見られるのが嫌だった。

 いま思えば、誰も気にして見ていなかっただろうに、何とか取り繕おうとしていた。いつか見返してやる、という想いもあったかもしれない。

 当時のことを知るやつがいたら、今の自分を見て驚くだろうなあとも少し思った。あの頃は勉強に多くの時間を割いていたのだ。今とは大違いだった。誰かと遊んだ記憶も、その機会もなかった。

 でもだからこそ、こんな自分でも西北高校に合格することができたのだ。ちなみに西北高校には、自分の小・中学時代を知っているやつはいない。

 あの頃の感覚がアルバムを見ているかのようによみがえっていた。浩太は英文を読むのも忘れて、ぼーっとしてしまっていた。

 少しすると静まり返った教室内で、チッチッチッという時計の針の音が聞こえてきた。

 

 ポケットに入れた携帯を開くと、十五時五十二分と表示されている。拓とは少し前に別れた。そのとき、彼は「いいな、彼女がいるやつは」とわざとらしく皮肉なトーンで言ってきた。

 それから少し待っていると、麻里の歩いている姿が見えてくる。隣には、秋穂らしき女子もいた。

 校門で立ちながら見ていると、二人は手を振って別れ、秋穂は校舎に入っていった。どうやら校舎内に用事があるようだ。

 その後、麻里はすぐに気づいて小走りでやってきて、その勢いのままわざと軽くぶつかってくる。今日は機嫌がいいようだ。

 「おつかれ」と緩い口調で言うと、彼女は「はあー、ほんと疲れた」と答えた。

「全然疲れてるようには見えないけど」

「疲れてるよ、ほんとに」と彼女は歩きながら答えた。「ずっと学校にいたの?」

 「そうだよ。ずっと勉強してたよ」と答えると、彼女はふっと鼻で笑った。何も信じていないようだ。

「マジだよ、マジ。今日は結構真面目にやったよ」

「どうせ寝てただけでしょ?」

「いや、今日はマジだって。春休みの宿題も少し終わったし」

「『少し』でしょ?」

「いや、めっちゃ……いや、めっちゃではないけど、ちょっとは終わったよ」

「うん、『ちょっと』ね」と彼女は少し意地悪な笑みを浮かべた。

 駅に着いた後、二人は改札を通ってホームを歩いた。しばらく喋っていると、秋穂が一人でやってくる。

 麻里と視線が合うと、彼女は『また会ったね』という風に微笑み、二人に気を使ってくれたのか、ホームの端のほうに立って距離を空けていた。

 狭いホームで待っていると、電車が小さな風を作るようにやってくる。二人は乗り込んでから太陽を背にして空いている席へと並んで腰かけた。

 その直後に発車を知らせる古臭い音が鳴り響き、電車のドアがプシューと音を立てて閉まった。車内には、ほとんど人がいなかった。二人は少しもたれ合いながら揺られていた。(第34話に続く)

第34話「最後の体育祭」(後編)

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